【インタビュー】現役の“カーモデナー(カーデザイナー+モデラー)”に会ってきた!クロコアートファクトリー徳田吉泰さんの場合
今回はオリジナルのトレーラーハウス・ルーメットを製造・販売されているクロコアートファクトリーの徳田吉泰さんにお話を伺いました。
今回は前回のインタビューでご登場いただいた、やまざきたかゆきさんを交えたインタビューとなっております。
前回のインタビューはこちらよりお読みいただけます。
徳田さんのお話の前に、クロコアートファクトリーで作成しているルーメットについて、紹介されている記事がありましたので、まずはこちらをご一読下さい。
Ping Cars vol.6 : カーデザイナーの作ったコロンブスの卵『ルーメット』
【インタビュー】クロコアートファクトリー徳田吉泰さんの場合
徳田吉泰=とくだよしひろ。1963年、名古屋に生まれる。高校卒業後、多摩美術大学に進学し彫刻を専攻。1985年、本田技術研究所にカーデザイナーとして入社し、様々な4輪のプロジェクトに関わりキャリアを積む。1995年、メルセデス・ベンツに移籍し、アドバンス部門で活躍した後、独立。現在はクロコアートファクトリーの代表として、ショーカーや特別車両、ルーメットのデザインや製作をしながら、乗り物以外のロートアイアンの事業も手がけている。趣味はレースとサーフィンで、仲間と飲むお酒をこよなく愛している。
多摩美の彫刻科出身です。しかし車のデザインがやりたかったため、当時多摩美ではカーデザインの授業がなかったので、プロダクトデザイン科に授業受けさせてくれ、と直談判しました。
メーカーの実習を受けなければならないことは分かっていました。
メーカーから学校に案内があり、そのときは3名の募集でした。
僕はプロダクトデザイン科ではないので、その3名の枠に入れません。
仕方がないので、ホンダの和光研究所までいきました。
—事前に連絡も無しに行かれたのですか。
そうです。枠がないので自分で行くしかありませんでした。
自分の作品を持って突撃しました。
彫刻作品だけでは流石にダメだと自分でも分かっていたので、1/4の車のモックアップ作って行きました。
そうすると総務課の人が出てきて、「ちょっと待って下さい」と、騒然となりました。
結局「実習があるのでそれを受けて下さい」ということになりました。
そうして、その年の多摩美は4名が実習に参加することになったのです。
実習はプロダクト科であろうが何だろうが関係なく、僕の時は前期と後期で20名ずつの、40名くらいが参加していたと思います。
1週間くらい寝泊まりをしてスケッチ描いて発表をしました。
結局40名中、8名くらい受かったと思います。
申し訳ないのですが、4輪は多摩美では僕だけでした。
入社してすぐはデザイナーでも工場のラインに入ったりし、それが終わると希望を出します。
僕は4輪のエクステリアを希望していて、しかもモデリングをやりたかったので、カーデザインとモデルの両方をしていました。
今とは違って仕切りがありませんでした。まだまだデザイン室の人も少なかったですから、何でもやりました。
スケッチも描くし、金型を削ったり、できるまで帰ってくるな、というような空気でした。
最初はNSXのチームでその後はレジェンドでした。
当時まだ本田宗一郎さんが生きておられたので、デザイン室にも見えていました。
レジェンドを作っていたときに、本田宗一郎さんが料亭に乗って行かれ、あろうことかアコードと間違えられたらしいのです。
それにはかなりお怒りになれました。
その後、宗一郎さんのためだけに作ったモデルというのがあり、それを僕が担当させられました。
次は、シビックです。金型やボルト締めたりする現場がとても好きなので、現場にどっぷり浸かれたのでテンションが上がりました。
3年目くらいで別の道に進もうと思ったこともありました。
—例えばどのような道をお考えになられたのですか?—
彫刻はまだ作っていたので、思い切って彫刻一本でやってみようかな、など考えました。
会社で働くのもいいですが、自分で独立したいという気持ちもありました。
また、ペーター佐藤という、ミスタードーナツのパッケージイラストなどを描いたイラストレーターが好きでした。
その方はボディーペインティングや特殊メイクなどをNYでしていました。
それに影響を受けて、メイキャップアーティストになろうかなと思い、青山に体験入学まで行ったこともあります。
すると入学するには、35万円くらいのメイク道具セットみたいなものを買わなければならないことを知りました。
その頃レースにも興味があり、その時がちょうどサスペンションをいじりたかった時期です。
悩んだ末に勿論サスペンションを取ったのですが、あの時にメイクを取っていたら人生だいぶ変わっていたと思います。
その時思ったことは、「こんな感じでクルマから離れると、結局深く理解しないままで終わってしまうな」と、それは嫌でした。
作品はずっと作っていたので、展覧会の話などもきていたので悩みましたが、やはりクルマが好きで、捨てられないなと思いました。
その後も長くホンダにいて色んな経験もでき、もっと視野を広げるためにベンツに移籍しました。
有給を消化し、土日挟んだ翌日にベンツにいました。
そこでは1年くらいです。風土が全く違うので経験としても良かったです。
例えば、アドバンスが本当にアドバンスなのです。
ホンダのアドバンスはある程度実現可能なものですが、向こうは本当のアドバンスです。
また、ホンダは和気あいあいな雰囲気に対し、ベンツはシビアでした。
そうして96年に、独立しました。
途中、ルーメットを見学。興奮気味でテールゲートをガバっと開けるやまざきたかゆきさん
ルーメットを作りはじめたのは本当に最近です。
最初はモーターショーのクルマを作ったり、オートサロンのクルマを作ったりしていました。
全自動車メーカーをやりました。ある程度やりつくすと、「ずっとこれ繰り返すのかな」と段々面白くなくなってきてしまいました。
今でもそうですが、もともとクルマを作りたいために、自社製品を作ろうと思いました。
それでいきなりルーメットというわけではなく、1度クルマと全く関係のないジャンルで新しく自社製品を作ろうと思い立ちました。
それでロートアイアンを始めました。5年ほど集中してやりました。
ロートアイアンの方が落ち着いてきた時に、ルーメットを作りはじめたのです。
今でも毎日言っているほど、自分でクルマを作りたいという気持ちがあります。
しかしクルマを作るというのは、本当にコストも時間もかかり、用意周到に揃えていかなければなりません。
その点ルーメットは動力が無いので、スタートしやすかったですし、色々なテストも兼ねています。
トレーラーはデザイン不毛の地だったので、そういう意味ではとても面白いです。
ルーメットで、販売システムを確立し、法規上の問題をクリアしたりすることは全て、これから僕らがクルマを作ることにつながっています。
デザイン不毛のトレーラー業界に衝撃を与えたルーメット。見た人乗った人全てが笑顔になる楽しいトレーラーハウス。維持費も2年間で27,900円ポッキリというからさらに欲しくなる。
1台2台作って終わりではありません。量産することに意義があります。
この部分は、金型を作ってやるのか、どうするのか。
ルーメット自体、自分で作っているものなので、何台売るのかも全部自分で想定し計算して、値段を出していきます。
そういうことが僕らの目標であるクルマを作る、というところに繋がっているという手応えがあります。
——ルーメットが欲しい場合は、どうしたらよいでしょうか。
そうですね。まずはお金を振り込んで下さい、というのは冗談です。
はじめはどういう目的で使うのか、色々ヒアリングをして仕様を検討します。
ルーメットが色々あるのでご覧頂いて、もし内装は自分でやりたいというお客様だったらそのままお渡しします。
もしトイレやカウンターなどの内装を色々付けて欲しいということでしたら、またお話しして詰めていきます。
そして全部決まった時点でお見積りを出させてもらう、という流れです。
僕らが陸運局へ行きナンバーを取るなど、最後まで担当してからお渡しします。
750キロ以下なので、けん引免許も必要ありません。
色んな所でテストを重ねてフレームを強化しているので、2倍くらいまでは大丈夫なように設計しています。
「うちは小さいとこでやってるんで壊れちゃっても許して下さいよ」と決して言い訳はしたくないのです。
お客さんはクルマを買っているつもりでルーメットを買うので、僕らもそこに応えたいと思っています。
大手自動車メーカーと同じプロダクションレベルに持っていくのは大変です。
しかし今後、自分たちがクルマを作るときに活きてくると思っています。
—カーデザイナーの採用の仕組みについてどう思われますか。
皆思い込まれていると思うのですが、募集がないところに応募したらダメ、というルールは一切ありません。
僕もやまちゃん(やまざきたかゆき氏のこと)もそうですが、レールにはある程度は乗っていたかもしれませんが、最後は自分の枠は自分で作りました。
自分の人生がかかっているのに、ポートフォリオを持って勝手に突撃し、総務が手続きに困るからダメ、と言うのだったらそんな寂しい話はりません。
やまざきたかゆきさん:僕も実車を持って行きました。TCAにいたのですが、ホンダはその年は案内が来なかったのです。
そこでもし僕が諦めていたらデザイナーとして仕事できていませんでした。
今は「新卒つまらん」と言っているところもあります。
徳田さん:それはどうしてかというと、面接1つとってもワンパターンに見えてしまうからです。
こう答えなさいなど、マニュアル化されているところが多いのかもしれません。
スケッチはものすごく上手くて僕らが自動車メーカー入った時より上手な人が多いです。
しっかりスーツ来て会社に行く、という点だけでも凄いな、と感じます。
それが今は当たり前のことのようになっているでしょう。
僕らの時は違いました。ツナギのままで行くようなそういう感覚でした。
もし僕が面接する立場だったら、その人が普段どんな格好しているか見たいと思います。
何が好きで、どのようなセンスかとても伝わってくると思います。
—これからカーデザイナーを目指す若者に向けて、メッセージをお願いいたします。
僕は自分で自分のことを『カーモデナー』と呼んでいます。
自分的には両方やりたいので、カーデザイナーとカーモデラーを掛けあわせた言葉です。
今は、自分のスケッチを具現化する人がいる、という感覚だと思いますが、それは捨てて欲しいです。
最終的にクルマは出来上がると、スケッチは架空のものになってしまうのです。
出来上がるものは冷たい鉄板をプレスした立体なのだから、やはり立体の細部に魂が宿ります。
画期的なアイデアも、もうほぼありません。全て様々な制約の中でデザインをします。
だからこそ、コンマ2,3ミリ違うだけで、ハイライトの入り方が良くも悪くもなってしまいます。
スッと入ったハイライトが、他のどこかのラインとスッと合う、そういうところは最終的に立体で具現化されるところなのです。
カースタイリストになってはいけません。
カーデザイナーでなければならないのです。
立体とガチンコ勝負できるデザイナーにならなければなりません。
さもなければ意味のない機能も全く関係していないファッションだけの造形がいっぱいあります。そういうのはカースタイリストです。
カッコいいスケッチなのに、出来上がりみると全然かっこよくない、というギャップがあるでしょう。
そのギャップを埋めるのが本当のデザイナーの仕事です。上手く描くことだけみていてはいけません。
やまざきさん:手描きのアナログの時代はスケッチよりも立体がかっこ良かったかもしれません。
デジタルになって、特に3Dも入るようになってから、スケッチのほうがカッコよくなってしまいました。
徳田さん:カッコいいスケッチありますね。カッコいいスケッチありますよ。
ホイールアーチピタッと入って、キラキラっとしたハイライトが入って、では実車出来ると、どっちがカッコいいですか?となりますね。
デザイナーは、やはり実車のほうをかっこ良くするところまでが仕事だという意識を持たないといけません。
そうでないとカースタイリストとか、カーイラストレーターってことになってしまいます。そこを若くから意識して欲しいです。
デザインできるのりしろはもう本当に残り少ないです。
コストの問題や色んな制約があるので、実際のカーデザイナーとして働いたことがないとなかなか分からないと思いますが、この部品を使ってとかこのプラットフォームを使って、とか最初から決まっていることも多いのです。
その少ないのりしろの中で勝負するには立体を重視しないとなりません。
モデラーはもっとこうだったらいい、というポンチ絵くらいはかけないといけませんし、デザイナーは本当のモデルのオイシイところ、快感を味わってもらわないとなりません。
ちょっとしたことで雰囲気が変わって激変するので、オイシイところは人任せの意識ではダメです。
やまざきさん:バイクでもそうです。しっかり現場を見ているかどうか。
膝のとこにクレイがついているかどうかで違います。
実際クルマに比べて一人でやる範囲は大きいです。
そう考えると、いまのproduct_cのスカウターは絵など描いていません。
その場で手を動かして作ってしまいます。
そうしているとどんどんアイデアも出て、実物を見せてディスカッションができます。
徳田さん:カッコいいスケッチと立体のギャップをなくして欲しいですよね。
そのためにはお父さんのクルマを洗車したり、プラモデル作ったりして触れてみて立体を理解してください。
ちゃんと触る。裏からも見られるので、プラモデルなどいいですね。
ゴールはどこなのかというのが大事な点です。描くだけではなく、最終的にしっかり立体になるわけですから、学生の頃からでも意識してそこを見ておかないといけません。
編集後記
元々ホンダのデザイナーだった二人が揃ったということもり、実際にお話がとても盛り上がりました。
筆者が強く感じたことは行動力の素晴らしさです。
これからのカーデザインを支える若者に直接聞いてもらいたいと強く思いました。
そして、カーデザインアカデミーにも色々な問い合わせが日々寄せられますが、そういった人たちにも行動力を持って、どんどん道を切り開いていってほしいと願っております。