【インタビュー】現役のカーデザイナーに会ってきた!—桑原弘忠さんの場合ー
第4弾を迎えたこの『現役のカーデザイナーに会ってきた』シリーズですが、前回インタビューをさせて頂いたカーデザイナー、やまざきたかゆきさんからのご紹介でこの度も実現いたしました。
前回インタビューはこちらよりお読みいただけます。
【インタビュー】現役のカーデザイナーに会ってきた!—やまざきたかゆきさんの場合ー
今回は、国内自動車メーカーにてキャリア19年を誇る桑原弘忠さんからお話を伺いしました。
今までの常識を打ち破り大ヒットし、数々の賞を受賞したあのクルマをデザインした桑原弘忠さんですが、今までインタビューしてきた方々と違い、免許を取ることになったとき初めてクルマに興味を持ちだした、という異色のカーデザイナーです。
現役のカーデザイナーに会ってきた!ー桑原弘忠さんの場合ー
桑原弘忠=1971年新潟生まれ。新潟県立津南高等学校出身。94年に東京コミュニケーションアート専門学校(以下、TCA)卒業。同年、国内自動車メーカーデザイン部入社。従来のカーデザインに囚われない発想は、数々のデザイン賞の受賞と大ヒットをもたらした。その一方で、漫画をこよなく愛し、藤子・F・不二雄先生を敬愛する一面を持つ、異色のカーデザイナー。
魚沼産コシヒカリで有名な、新潟県の魚沼・津南町というところで生まれ育ちました。
盆地なので雪が4メートル積もる豪雪地帯で、18才まで過ごしました。
藤子・F・不二雄先生が大好きで、小さい頃の夢は漫画家です。
本気で漫画家になりたいと思っていたのですが、特に練習するわけでもありませんでした。
授業中に良く落書きをしていた程度です。
小中高と進学するにつれ、現実的に漫画家は難しいのかなと思うようになっていきました。
高校生の時に、グラフィックデザイナーという仕事の存在を知り、「そっちだったらなれるのかな」くらいに考えていました。
しかしきっと無理だろうから、地元の工場に就職するのだろうな、と漠然と考えていたのですが、親から「専門学校くらいは出ておきなさい」と言われました。
高校3年生のときに、免許を取りに行ったのですが、その時に初めて「世の中にはこんなに色々なクルマがあるんだ」と知ったのです。
そこで初めてクルマに興味を持ちました。実は、それまでクルマに対する興味が全くありませんでした。
その時に、クルマに興味がある人は少ないだろうから、漫画家よりもカーデザイナーの方がなりやすいのではないか、と思ったのです。
田舎育ちの僕は、自分と同じようにクルマには興味が無いだろうからこれはなれるな、と簡単に思っていました。
そこで、カーデザインの勉強ができる学校を調べてみると、アーバンデザインカレッジとTCAの2つの学校が見つかりました。
アーバンの方は、評定3.2以上必要ということで僕には入学資格が無かったからやめ、もうひとつのTCAに電話で問い合わせをしてみると、特に評定やそういうのは関係無いということだったので、受けてみると受かりました。
そうしてTCAに入ると、生徒が100人ほどいて、世の中にこんなにクルマ好きな人っているんだ、とビックリしました。
その時、漫画家になるより難しそうだぞ、と初めて思いました。
A・B・C・Dとクラスがあり、僕はAクラスだったのですが、優秀な人がAクラスに集められていると思っていたら逆で、Dが一番優秀な選抜クラスだったのです。
授業内容も違ければ、宿題の量も違うし、全てにおいて違いました。
なんか違うぞ、なんか違うぞって思ってよくよく見ていたらそういうことだったんです。
1学年の半数以上は1年生で辞めていき、僕は選抜クラスのDクラスの先生に、個別で画を持って行って、「頑張りたいので見て下さい!」と通常の授業とは全く別に見てもらっていました。
田舎から出てきて、このまま就職できなかったら大変だな、という危機感と、しっかり就職しないと親に申し訳ない、という思いがありました。
2年生に上がる時にDクラスに編入させてもらえました。
TCA時代はたくさん絵を描きました。
カーデザインアカデミーの教材にもあったように、最初はひたすら丸を書いたり、まっすぐの線を書いたりです。
初めは上手に描けずに、ボールペンを何本も使い潰しました。
綺麗な線を引くコツですか?
こればかりは聞いて覚えるものではく、体で覚えなければダメだと思いますよ。
感覚的な所だから、ひたすら体に覚え込ませるしかないのだと思います。
課題が運良く3つ同時に通った時があり、その3ヶ月くらいの期間は2日に1回徹夜をしていました。
今でもありますが、その時にペンだこができました。
カースタイリングにも掲載されました。サイドビューの銀色のクルマです。
音楽の授業の先生がBADツアーの時に、学校にマイケル・ジャクソンを連れて来た事があったのですが、その時にマイケルが僕の作品を欲しいって言ってくれました。
なんとマイケル・ジャクソンが購入希望者第1号です。その時からマイケルのファンになりました
当時のカースタイリング。上段左がマイケルお気に入りの桑原さんの作品。
カースタイリング=三栄書房刊行の隔月刊自動車デザイン専門誌。1973年に創刊され、世界唯一の和英両文カーデザイン専門誌であり、世界の自動車メーカー、デザイン学校やデザイナーから評価されてきたが、2010年5月号をもって休刊。今なお、復活を希望する声も多い。
東京コミュニケーションアート専門学校=通称TCA。 カーデザインを学ぶ4年制の自動車デザイン科は長い歴史を有し、卒業生の多くがトヨタ・HONDA・日産・ダイハツ・マツダなど大手自動車メーカーの研究開発デザイン部門への就職を実現している。
また印象に残っている授業は、ブルースケッチです。その名の通り、ブルーだけで描く、アートセンター流の描き方のことです。
その授業は、1週間でクルマとID製品とスペースデザインを、それぞれ10枚ずつ、つまり合計30枚描いてこい、など宿題の量がものすごく多かったです。
朝9時までに全部貼りだしておかないと、教室入ってはいけないような厳しい授業でした。
最初のうちは慣れてないので1枚3時間くらいかかっていました。
もちろん他の授業の課題もあるので、効率よく描かなければ絶対に間に合いません。
だからそういうやり方が自然と身につくのですね。
最終的には1枚30分〜1時間くらいで描けるようになっていました。
これは本当に今でも仕事に活きていると思います。
ちなみにこのやり方は、今新人のデザイナーに僕が教えています。
実はこれを描くのに大事なポイントが4つあるのですが、それはここでは秘密です。
ブルースケッチ=アートセンターに伝わる練習方法。最初は黒で描いていたが、暗い雰囲気になってしまうことを懸念した講師が茶色や青など、他の色を使っても良いと許可した所、段々と青色ばかりになってしまったことに由来する。
他には、シビックやCR-Xのデザイナーの藤村先生の授業が勉強になりました。
1週間に1回授業があり、横幅1mのレンダリングを描いてきて朝9時までに全員壁に貼っとけ、といったようなそれもまた厳しい授業でした。
先生が教室に入ってくると、「う〜ん。一番はこれ、2番はこれ、3番は…」と言いながら毎回そうやって上手い順に席に座らせられました。
一番うまい人は一番前で、下手になっていく程、後ろの席になるのです。
なかなか1番になれませんし、当時は嫌でした。
しかしこれは会社でも同じなのです。
クルマのデザインは基本的に一案しか残らず、自分のデザインが選ばれないと、選ばれたライバルの作品のサポートに回る事になります。
仕事としてやらなければなりませんが、心の中では悲しいですよね。
その授業があったからこそ、会社に入ってから自分の案が通らない場合でもうまく気持ちを切り替えることが出来ました。
絶えずコンペを繰り返してくれたのが、今となってはありがたいです。
アパートは、学校の近くに借りていて、よくたまり場になっていました。
その時、やまちゃん(ApeやZOOMERのデザイナーであるやまざきたかゆきさん)や、世界を放浪して今は奄美に住んでいる藤田、バートンのライダーになってから今は薪ストーブを販売している健太郎などの仲間がいて、みんな自分なりの哲学を持って生きていました。
ストイックにクルマ文化だけではなく、人生を楽しむ感覚を養えたのが良かったと思います。
この前も、TCAからのSUZUKIに行ったデザイナーとSUBARUに行ったデザイナーと僕の3人で集まって久しぶりに話しましたが、「そういえば昔、桑原さんちに行った時に、お前は大人しくてダメだっていきなり金髪にさせられましたよ。覚えてないんですか?」と言われました。
全然覚えてなかったので「俺そんなことしたっけ?ごめんね。」と謝りました。
今考えると僕んちはカーデザイン界のトキワ荘みたいになっていました。
就職、そしてメーカー勤務
TCAは3年制ですので、2年生の時にメーカーの試験を受けるのですが、僕はM社を受けました。
2週間泊まりこみで課題を出され、それに合うコンセプトを考えクルマを描きます。
大学生と専門学生一緒の試験で、30名位居たと思うのですが、見事に落ちました。
就職浪人のごとくTCAに研究生として残り、次の年に今の会社を受けて入りました。
ですので、94年卒業の94年入社です。
同期は4名いましたが、大学と専門学校では試験が別だったのでどんな人が受かったか全く知りませんでした。
後から聞くと、東大の大学院と日大芸術学部、アートセンターの日系4世だと言われ、みんな超エリートで行きたくないな、と思いました。
TCAに入ってようやくクルマ熱がジワジワ来たので、クルマのことを全然知らないので、余計にそう思いました。
なんと言ってもそれまでも、コロコロコミックとオカルト雑誌のムーばかり読んでいたため、「2012年には必ず何か起きるんだ!」と信じていました。
また、クルマは将来空を飛ぶモノだと本気で思っていたので、入社してからの工場見学が本当に楽しみでした。
世の中に出ていないけれど、会社はUFOを隠れて開発しているなと本気で思っていて、工場でそれが見れるんだ!と思って行くと、おじさんが製造している機械を自慢げに指さして「これは30年使ってるんだ」と言うのです。
その時に「30年も同じの使ってるんだ!飛ばないじゃん!」と凄くガッカリしました。
新潟から東京に出てくるまで、アパートやマンションは全部国が経営していると思っていたくらい、現実離れしていました。
田舎だからアパートやマンションに住んでいる人が同級生に居なかったのです。
そう考えると本当に世間知らずでした。
クルマのことも、あまり知らなかったからこそ、逆に良かったのだと思うこともあります。
色々知っていたらカーデザイナーを目指していなかったかも知れません。
ークルマ以外にご興味があることは何でしょうか。
やはり漫画です。海外出張などで、外国の方に「漫画好きです」というと、すごく共感されて、自分の好きな漫画を話してくれるのです。
例えば、僕が単行本で読んでいない「らんま1/2って読んだ?」と聞かれて、「読んでいない」と答えると凄く悲しい顔をするのです。
マンガを読まない日本人は、パエリアを食べないスペイン人みたいなもののようです。
漫画は日本人として読んでおかないと、相手に失礼だなと思うようになりました。
多くの方が海外に通用するものを身につけたいと考えたとき、英語を勉強していると思うのですが、僕はその前に漫画を読んで知っておいた方がコミュニケーションに繋がると、自分の経験から思います。
海外の方で、漫画を読んで日本語を覚えましたという人も多いですし、世界で活躍している色んな業界のスターたちも、大半がマンガから影響を受けています。それくらい重要な文化です。
特にデザイナーになりたい人は、色んな形の幅が広がるので、是非色々読んでください。
-実際にカーデザイナーになられてみて、この仕事の魅力をお聞かせください。
わたしの会社でいうと、世界中から様々な人が集まっています。
昔カースタイリングを見て、「この人上手いな〜」と思っていた外国人が横にいる、という事もあります。
実に価値観も生活スタイルもバラバラなのです。会社へ行くと、取り敢えずコーヒー飲みに行こうと誘われるし、僕のデスクの上に毎朝バナナが置いてあったり、僕も違うバナナを置き返したりします。
その彼は458イタリアのデザイナーで、良い意味で普通ではありません。
仕事内容でいうと、車種が色々あります。
セダンやコンパクトカーもそうですし、トラックやバスなどもあり、色々デザイン出来るので飽きないです。
僕はプロジェクト全体をまとめる方マネージャーではなく、色々なものをデザインしていく現場の方なので、毎日楽しく仕事ができています。
今度はこんなのやるんだ、こんなに条件違うんだ、という新鮮さを味わえます。
元々18才までクルマのことを全く知らなかったので、それもいい方に作用しているのかもしれません。
クルマの事がとても好きな人は、スポーツカーやセダンなどの花形をやりたいもので、ルールや定義を重んじたりもします。
僕はそういう方向のこだわりがありません。
例えばバスのデザインをするとして、それが世にでたら、これをキャンピングカーにして自分で乗れる!とか考え出すと、楽しくて仕方ありません。
少し話は変わるのですが、以前、ある雑誌の取材を受けていた時に、「ドラえもん好きなんです」と話をし、その思いを熱く語ったことがありました。
クルマのデザインにも「F魂を入れてます!」みたいに話したのです。
そうすると、その記者の方が、周りに藤子・F・不二雄先生好きな人がいるので飲みますか、という話になりました。
「大人のF会」という会で、人数は少ないですが各業界の凄く濃いメンバーが揃っています。
みんな物凄くドラえもんを愛しているので、集まると「ドラえもんの映画で・・・2個だけ選ぶとしたら何?」「え〜!それは選べないな〜!」などと、大の大人が本気で悩むのです。
そういう出会いもあるので、カーデザイナーになったけれど好きなモノには巡り会えるということを実感しています。
そうそう、漫画の他に、ルービックキューブも良いですよ。
30歳を越えてから、「そういえばルービックキューブできなかったなぁ」とふと買い、虎の巻みたいなのが付いていて、それを見ながら練習して出来るようになりました。
海外から来た自分より絵の上手なデザイナーにやってみせると、「なんでお前は英語もしゃべれないのにこんな凄いことが出来るんだ!」という感じで、逆に尊敬してもらえるのです。
英語が喋れなくても「この人と話してみたいな」と思われれば、相手が日本語で話してくれます。
ルービックキューブってフォームで覚えるので、練習をすれば誰でも出来るのでオススメです。
「ルービックキューブをやってみて下さい」とお願いしたらものの数分で完成。全面揃えるコツまで丁寧に教えてくれました。
あとはスキー、スノーボード、ドリフトラジコンと、基本的に滑るモノが好きです。
-最近クルマ以外で気になるデザインはありますか。
nendoですね。あのデザインがとても好きです。
そこのマウスオリガミというマウスを使っているのですが、感覚が近いと勝手に思っています。
そのマウスの使い心地も良かったので、勝手に宣伝して僕の周りだけで15人くらいこのマウスを使っていて、うちの部長もその一人です。
ちょうど最近、Penという雑誌でnendo特集が組まれていましたが、その代表の方も藤子・F・不二雄先生信者だったのです。
だから自分はこの人のデザインを良いと思のだ、と納得しました。
今、一番会ってみたい人です。是非F会に入って熱く語って欲しいです。
nendo= 2002年に佐藤オオキを中心に設立されたデザインオフィス。東京とミラノに拠点を持ち、建築、インテリア、プロダクト、グラフィックと幅広くデザインを手掛ける。06年Newsweek誌「世界が尊敬する日本人100人」に選出され、12年には「Wallpaper」誌や「ELLE DECO International Design Awards」でデザイナー・オブ・ザ・イヤーを受賞。国内外200を越えるプロジェクトが同時進行する超人気デザイナー。
ーデザイナーとして心がけていることをお聞かせください。
そうですね。
そうですね。美味しいものを食べることと、良い音楽を聞いて感動することは心がけています。
デザインは、その時のその人の雰囲気や感情がそのまま出るものです。
ジャンクフードばかり食べて、いい音楽を聞いていなかったら、感動するデザインなんてできないと思います。
ライブもよく行きます。最近行ったのはチャカ・カーンです。
ベンハーパーやスティービー・ワンダー、フジロックまで色々聴きます。
いい食事といい音楽は心が豊かになります。
-カーデザイナーを志す方へのメッセージー
「上司の言うことを聞くな」でしょうか。
実は僕が会社に入った時最初に言われた言葉なのですが、上司の言うことを聞いていると、そこそこのモノはできるかもしれませんが、革新的なモノや世の中を変えるようなモノは生まれません。
そこそこのデザインを言われた通りしているよりも、その時は辛くても信念を持って世の中に名前の残るようなモノを出したい、と思いそういうプロダクトを出した前と後では人生観が全く変わります。
それまで大反対していた人も自分の案が世の中に出て売れ出し、更に賞を取ると、その後認めてくれ、その車を買ってくれたりなどして、仲良くなったりします。
ただ売れないとそうはなりません。
前は、自分をどう良く見せようか、とそんな発想があったのですが、今は全然それがなくなり、みんなが遊ぶにはどうしたらいいだろう、ということばかり考えています。
また、デザイナーになるにはいかにアイデアが出せるかということが勝負です。
全く描けないのはダメですが、とても上手い人はいっぱいいるので、ある程度の基礎を身に付けてさえいれば大丈夫です。
藤子・F・不二雄先生もそうなのですが、サンプリング能力がとても高いのです。
コレとコレを組み合わせて全く違うモノを生み出すのです。
同じモノを見ていてもサンプリング能力が高い人のデザイン力は優れていると思います。
中には凄く無理をして沢山描き、辛い時にアイデアが出る人もいますが、その人も僕が分析するに、疲れると頭がぼーっとしていて正確に判断出来なくなるのだと思うのです。
そんなときに何かを見るとしますよね。「あれ?あれって何か似てるな」と疲れてぼーっとしているので、そこから違う目線で見て発想が出るのだと思うのです。
ようはサンプリングということで一緒なのかなと思います。
そして、ビックリするすごいアイデアというよりは、「うわ!やられた!やるなぁ」と思われることのほうが嬉しいです。
真面目で面白味に欠ける人は受かりにくいと思うので、日頃から自分なりの哲学を持ち、自分なりの視点から物事を考える癖をつけるといいのではないかと思います。
日頃から「カーデザイナーになりたい」と思っている人はなれないと思います。
「カーデザイナーになる!」と声に出して強く信じてください。
編集後記
元々全くクルマに興味が無かった、と言い切った桑原さんですが、隠れた意志の強さを感じさせるとても魅力的な方でした。