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【インタビュー】現役のカーデザイナーに会ってきた!ー元Alfa Romeo小田桐亨さんの場合ー

今から104年前、1910年イタリア・ミラノにて設立されたAlfa Romeo。

そのスポーティーなクルマづくりで、数多くのクルマ好きを熱狂させ続けているイタリアを代表するメーカーで、かつてデザイナーとして活躍されていた、ただ一人の日本人がいたことをご存知でしょうか。

 

今回は、記念すべきシリーズ第10弾ということで、元Alfa Romeoデザイナー、現在は、国内大手自動車メーカーデザイン部でご活躍されている小田桐さんに、お話をお聞きしてきました。

 

 

 

現役のカーデザイナーに会ってきた!ー元Alfa Romeo小田桐亨さんの場合ー

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小田桐 亨(おだぎり とおる)=1975年生まれ。千葉県出身。高校卒業後すぐに東京コミュニケーションアート専門学校(以下TCA)に進学。1996年4月から翌年の3月まで、イタリアのルオーテO・Z 社に推薦派遣でデザイン研修を受ける。1999年5月、フィアットのアドバンスデザインにて、アルファロメオユニバーシティ・ステージに参加し、2000年1月、日本人初となるアルファロメオのデザインセンター、チェントロスティーレに就職。様々なプロジェクトに関わった後、2004年、とある国内メーカーのデザインが目に留まり、帰国を決意。現在は、その国内メーカーにてカーデザイナーとして活躍している。ちなみに、アルファロメオのSUVが発売されるのでは、とコンセプトカーKamal登場以来ささやかれ続けているが、小田桐さんはそのKamalを担当していたとAuto&Designでも公表されている。

 

 

車に興味をもったキッカケ

特にクルマに囲まれた環境ではなくただのサラリーマンの家庭でしたが、気づくとすでに幼稚園のころには車が大好きでした。
 

小学校2年生のころに、どんなクルマでも知っている、車にとても詳しい友達がいました。

 

 

暇があれば、その友達と車種名をあてるゲームをしていたのが、特に印象深い思い出です。

 

車関係の仕事に就きたいな、とは思っていたのですが、その頃はまだカーデザイナーという事は意識しておらず、存在も知りませんでした。

 

高校2年か3年生のころに、開発のストーリーなどが書かれている、『新型○○のすべて』のようなクルマの本、いわゆる『すべて本』というのを見て「あ、クルマってこういう風に粘土で作っているんだ、デザインされていくんだ」と知りました。

 

 

授業中は鉛筆で描く落書き程度のものですが、ずっとクルマの絵ばかり描いていましたから、絵は得意な方だったのだと思います。

 

そうそう、ですので学校に入ってから驚きました。

鉛筆を禁止されてボールペンしか使ってはいけないと言われて。

 

鉛筆と比べて描きにくい分、ごまかしが効かないのでうまくなるのですが。

 

 

当時はモデラーになろうと思っていました。

 

進路を決めるときに、偶然TCAのことを知り、体験入学をし、そこで1/20のモデルを作らせてもらいました。

 

それが楽しくて楽しくて。

 

もうこの仕事しかないと思い、TCAに願書を出してカーモデラー専攻で入学しました。

 

ただ、1年生の夏頃には、先生にお前はデザイナーの方だ、とカーデザイン専攻に変えられてしまいました。

 

入学当初のレベルとしては、自分では素人にしては上手い方だと思っていましたが、周りには大学志望で絵の予備校に通っていた方もいて、そういう人には敵わないなと感じでした。

 

 

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東京コミュニケーションアート専門学校=略称、TCA。カーデザインを学ぶ4年制の自動車デザイン科は長い歴史を有し、卒業生の多くがトヨタ、日産自動車、Hondaなどの大手自動車メーカーの研究開発デザイン部門への就職を実現している、日本屈指のカーデザイナーを輩出する専門学校。

 

 

カーデザイン漬けの学生生活

少し大げさですが、ご飯を食べている時と寝ている時以外は、クルマを描いていたと言ってもいいくらい描いていました。

朝から晩まで、電車の中でも描いてました。

 

やはり周りにライバルと思える存在がいるということが大事だと思います。

一人だったらそこまで、できなかったかもしれません。

 

頑張っている親しい先輩を見ると、やらなければいけないと自然に思いました。

 

ただ、そんなことを言っておいてなのですが、桑原*さんに「1年の頃から先生にどんどんスケッチとかレンダリングを持って見せにいけ」と言われていたのですが、自分は結構引っ込み思案で地味なタイプの人間なので、なかなか持って行けずにいました。

 

註)桑原さん=現役のカーデザイナーに会いに行こうシリーズにでていただいたカーデザイナー桑原弘忠さん。

TCA出身で、小田桐さんが1年生の頃に桑原さんは4年生で、先輩後輩の間柄。記事はこちら

 

先輩の卒業制作を手伝うことも、上手くなったキッカケのひとつでした。

桑原さんは当時からズバ抜けていたので大人気で、手伝いたい後輩がたくさんいて大変でした。

 

学生の頃は、特に塗り方については桑原さんの影響を強く受けていました。

他にも2輪を専攻している先輩の卒業制作を手伝ったり、そういうことを通して技を盗める環境にあったのは良かったと思います。

 

当時サインは誰々の真似をして、とかって皆やっていました。

 

学校では、0から100まで描き方を教わるので、そのとおりにひたすらやってうまくなりました。当時は海外の人がどういうスケッチを描いているか、という情報はカースタイリングくらいしか無かったので、カースタをみて必死に研究しました。

 

 

また、クルマ10個、インダストリアル10個、建築10個を2週間毎に描いてこないといけない授業があったのですが、企業プロジェクトとも平行しているので、それはとてつもない量なのです。

夜中2時か3時頃まで、とにかく描いていました。

 

 

 

 

そしてイタリアへ

3年生の冬、先生からホイールメーカーのO・Z社*に行ってみないか?と言われたことがきっかけで、イタリアへ行くことになりました。

 

僕自身は、ホイールメーカーでいいのか、という思いがなかったといえば嘘になりますが、行ってみると本当にいい会社で勉強になりました。イタリアはご飯も美味しかったですしね。

 

当時イタリア語はもちろん話せなかったのですが、先生をつけてくれて少しづつ勉強しました。

 

そこのボスがフランス人で画の勉強を一切してない人だったので、僕らが学校で習ってきたような、綺麗に線を引いて、っていう描き方ではなく、ロットリングで、細かいピッチでフリーハンドで何本も線を重ねてガリガリ描いていました。

 

お世辞にも上手いとは言えないのですが、そのボスが1分の1の画を描いてやっていくと、とんでもなく美しいものが出来上がるのです。

 

スケッチは無茶苦茶でしたが、良い物を作る人でした。

日本の感覚だと、とりあえずイラストがうまくないと、選考される土俵にのれません。

一方イタリアはデザインの学校も少ないので、建築とかから入る人も多いため描けない人も多いですが、できてくるものがとても綺麗で、イタリアはイタリアでいいな、と思いました。頭の中にちゃんとあるのでしょうね。

 

 

うまい画を描いてなんぼという世界で自分は育ってきたのだな、と感じさせられることが多かったです。

 

デザインも違い、人も環境も働き方も自分の想像外のことが多かったので、色々とリセットさせられたような気分でした。

ホイールは車と違い、開発から量産までがすごく短い点も、経験を積むという意味では良かったと思っています。

 

寮に2人で住みながら、朝は7時半ごろに起き出社をし、昼休みは1時間でした。

18時に仕事を切り上げ、会社の人と飲みに行ったり、家でスケッチを描いたりしていました。

 

そのような日々でしたが、僕はやはりクルマをデザインしたい、と言い続けていました。

会社からはうちで働かないか?と誘われていたので生意気な話ですが。

会社の株主に、ピニンファリーナとの繋がりがある方がいて、作品を持ってきてみれば?と面接を受ける機会を得ることができました。

 

当時パソコンはまだなかったので、全部手書きでB3サイズを10ページくらいですかね。

あまりページ数が多くても見る人も嫌になるだろうと思ったので、厳選して10枚ほどに絞りました。

会社で働きながら、1ヶ月でブックを作って面接にいったところ、3ヶ月の研修に参加することになりました。

 

印象に残っているのは、ある日、スタジオでスケッチをしていたときに、ダビデアルカンジェリのスケッチを見せられたことです。「こういう風に描いてみたら?」と渡されました。

 

残念ながら若くして亡くなられてしまいましたが、世界一美しいと言われたプジョー406クーペやBMW5E60、ホンダのアルジェントヴィーヴォというコンセプトカー等を担当したデザイナーです。

 

そのスケッチのテイストには影響を受けました。

それまでの僕の描き方は、コントラストを強めに効かせた、遠くから見てもピックされるようなスタイルでしたが、ダビデ・アルカンジェリのスケッチは、コントラストを抑えてより実車っぽく見える綺麗な描き方でした。

 

濃い3ヶ月間で、多くのデザイナーから影響を受けることができたので良かったと思っています。

 

 

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OZ S.p.A.=1971年、イタリア北部に位置するヴエネト州のガソリンスタンドで働くシルバノ・オゼッラドーレとピエトロ・ゼンによって設立された世界的ホイールメーカー。スケッチは、OZ時代に小田桐さんが手掛け、量産された作品。

 

アルファロメオのカーデザイナーとして

ビザが切れてしまうとイタリアにいることができませんので、ピニンファリーナの研修が終わると、一度OZに戻ることになったのですが、ピニンファリーナの研修が終わるまでに、イタリアのメーカー全部にポートフォリオを持って行きました。

その時は実りませんでしたが、アルファから「研修を実施するから来ないか」と声がかかったのです。

 

ただ、そのスケジュールがどうしてもOZの業務があったため抜けられず、参加することができませんでした。

 

参加することはできませんでしたが、その研修のテーマは知っていたので、勝手にアルファのコンセプトカーをデザインして担当者に見てもらうことを繰り返しました。

 

俺もこのプロジェクトやらせてくれと、ゲリラ的に勝手に見せにいくのです。

 

それが功を奏して、途中からそのプロジェクトに入れてもらうことができました。

1/4、1/10モデルを作らせてもらい、最終案の開発に残ることができ、1/1モデルを作り、ボローニャのモーターショーに出品しました。その後、そのままアルファロメオに就職することになりました。

 

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フィアットのアドバンスト・デザイン・ユニバーシティ・ステージに参加した際の一枚。 左から4番目が小田桐さん。

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第2ステージ段階でのアイデアスケッチ。

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研修時のアイデアスケッチ。

 

 

毎回毎回、環境が変わる度に驚くことが待っているのですが、アルファロメオも例外ではありませんでした。

まず、「この会社、朝からお酒を飲んでいいんだ」と。

 

今はどうなのか知りませんが、ワールドカップの時期はプレゼンルームを開放して大きなプロジェクターで皆で観戦したり、当時はそのような感じだったのです。

 

 

決して悪い意味ではありません。

クルマの画を描き、色を塗り、それがすごい!などは特に重要じゃなく、そのようなことよりもライフスタイルを含め、生活を楽しんでいるか、人間的に魅力的かどうかの方が重要という風土でした。

ひたすらスケッチをして上手い画を描いて、という人のことは皆なんとも思っていませんでした。

 

特にアルファはそうでした。カロッツェリアの人たちはまた違う風土があると思います。

 

今まで、僕はどんなことに対しても、わりと真面目に取り組んでいくタイプだったので、それには驚きました。

 

そういうのは自分で行ってみないとわからないことですよね。

そして、アルファロメオの受付の人は英語話せず、イタリア語だけでした。

今思うと、他の国からの来客とかどうしていたのでしょう。

信じられないかもしれませんが、そういう感覚が当時の向こうでは当たり前だったのです。

 

そもそもイタリアに渡ったのもそうですが、カーデザインをするにあたって、自分が一番成長できる環境を探し続けてきた結果。

そこが重要だと思っています。。

 

そういえば入社式もみんなスーツを着ていましたが、僕だけアロハでまわりから「なんなんだアイツは!」となっていました。

 

 

 

カーデザイナーを志す人へのメッセージ

一言でいうと、カーデザイナーという仕事は純粋に楽しい仕事だと思います。

好きなクルマが作ることができ、運が良ければ世の中を走る・・・いい仕事ですよね。

 

その中で、死ぬほど努力しなればいけませんし、色々と制約も多いですが、そういう事もひっくるめて純粋に楽しい仕事だという風に僕は思います。

 

そして、ありきたりな言葉ですが、環境とライバルは大事です。

カーデザインは狭い世界なので、自分一人でただクルマを描いているだけだと限界があります。

 

僕は偶然、TCAを知ったのでいい環境に身をおくことが出来たと思いますが、やはりライバルと思える存在を設定して、それぞれのステージでやらなければいけないことをしっかりやることです。

 

自分のいま置かれている状況、実力を客観的に判断して、やらなえればならないことは何なのかを捉えることです。

 

いいクルマをデザインしたい、カーデザイナーになりたいと思っているだけでは見てもらうレベルに到達はできないので、まずは数をこなし、そこにかけた時間でアイデアを広げていき、そうして次の課題が見えてきます。

 

それ以降は、そのステージ毎でやらなければならないことを見つけたり、的確なアドバイスをもらったりすることでさらにレベルを上げていくことができます。

 

そこまでいって底力とか、その人自体の魅力も必要になってくるのですが、まずは土俵にのらないといけません。

だからこそ、そういう環境に身を置くことが大事になってきます。

 

また自分のやりたいことが相手に伝わらないと何も起きない、ということも理解しておかないといけないと思います。

 

今はネットがあるからさまざまな情報を得ることができますが、知った気にはなるけれど、簡単に得られる情報は薄っぺらな情報のほうが多いと思います。

 

うまい人の画を見ると、うまくなった気になるけど実際は描けません。

しっかり自分でやってみるとか、色んな人に突撃して情報を得ることも大事だと思います。

 

イタリアにいるころは、勝手にいろんなところに突撃していきました。

人見知りな性格なので、ほんとうにガチガチに緊張していくのですけど、案外ウェルカムで色々と教えてもらった経験のほうが多く、そうやって得た情報、経験、つながりがのちのち返ってきました。

 

カーデザイナーになりたい、と思うだけではなれません。

クルマの勉強をするためにいい経験ができる環境を探し求めてください。

たくさん練習するのは当たり前で、そこから自分でチャンスを作ってください。

そしてそのチャンスをモノにできる実力をしっかりとつけておくことが大事です。

 

クルマというのはプロダクトが大きすぎて一人で完成させることはできません。

人とのつながりの大事さを感じることが多い職業かもしれません。

 

全部当たり前のことですが、カーデザイナーという仕事は純粋に楽しい仕事です。

夢に向かって頑張ってください。

 

 

編集後記

 

学生時代、ある有名な先生から「武蔵丸に似ているね」と言われ、仲良くなったというエピソードを笑いながら語ってくださった小田桐さん。

 

そのチャーミングかつ、気取らない雰囲気で始めから終わりまで、楽しく取材させていただくことができました。

一人でも多くのカーデザイナーを目指す方の参考になれば幸いです。

 

このカーデザイナーに会ってきたシリーズも第10回を数えるわけですが、カーデザイナーとして活躍している方は例外なく行動力があります。

 

小田桐さんも「若さゆえですよ」と仰っていましたが、なんでも知った気になりがち、うまくなった気になりがち、という言葉が胸に突き刺さる方も多いのではないでしょうか。

 

筆者自身も、自ら動ける人にならないといけない、そう思わせて頂き、良いお話を伺うことができました。

小田桐さん、ありがとうございました。

 

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