【インタビュー】現役のカーデザイナーに会ってきた!ー米山知良さんの場合ー
今回は、国内自動車メーカーにて、キャリア10年を誇る現役カーデザイナーの米山知良さんに、カーデザイナーを志す方へのメッセージも含む色々なお話を伺いました。
現役のカーデザイナーに会ってきた!ー米山知良さんの場合ー
米山知良=1975年生まれの37歳。本郷高等学校デザイン科を卒業後、東海大学でインダストリアルデザインを学ぶ。その後、東京コミュニケーションアート(TCA)に入学し、国内自動車メーカーに就職。カーデザイナーとしてのキャリアは10年。
ジウジアーロが全ての始まりだった
カーデザイナーには子供の頃からずっと憧れていたほど、本当に車が好きでした。
そして中学生の頃、どこのデパートかは忘れてしまいしたが、ジウジアーロのカーデザイン展があったのです。
そこで完全に僕の人生が決まりました。
ジウジアーロのデザインしたショーカーである、メドゥーサやインカスが未来的で、衝撃を受けました。
絶対にカーデザイナーになろう、そう誓ったのを覚えています。
ジウジアーロ=ジョルジェット・ジウジアーロ。イタリアの工業デザイナーで、イタルデザインの設立者。数々のデザインプロジェクトを手がけ、1999年にはカー・デザイナー・オブ・ザ・センチュリー賞を受賞し、2002年にはアメリカ・ミシガン州ディアボーンの自動車殿堂 (Automotive Hall of Fame)に列せされた。カーデザインアカデミー監修の栗原典善氏も、同氏のもとにかつて在籍していた。代表作は、コチラ。
今より学生時代の方が描いてるかもしれない
今はもうデザイン科はなくなってしまいましたが、当時デザイン科が有名だった本郷高等学校に進学しました。
学校が終わると、夜10時ころまで教室に残ってひたすら描いていました。
本当はその時間まで残っていると怒られるのですが、皆で牛丼買ってきて、こっそり用務員のおじさんに渡したりなどして、見逃してもらっていました。
デザイン科といってもカーデザインの授業があるわけではなかったので、ひたすら雑誌を見ながら朝7時から夜10時まで模写していました。
周りのみんなも、それぞれの分野の練習で夜遅くまで残っていました。
今考えると、僕らの代は高校を卒業してすぐに、工業デザインやアパレル、グラフィックなどの会社を立ち上げる優秀な人が多かったと思います。
そう考えると切磋琢磨できる良い環境でした。
その後、大学に進学し、4年間インダストリアルデザインを学びました。
ただ大学ではそれまでに比べ、練習量がガクンと落ち、カーデザインの授業があるときだけ練習しているような状態でした。
それまで描くことだけしかしてこなかったため、勉強はもちろんからっきしできませんでした。
いくつかのメーカーを受けましたが、全て落ちてしまいました。
悔しかったです。
卒業後は親を安心させるためにも、一旦店舗設計の仕事に就きましたが、カーデザイナーになることは全く諦めていませんでした。
10ヶ月勤めた後、その仕事は辞め、東京コミュニケーションアート(TCA)というカーデザインの専門学校に24歳で入り直しました。
スケッチには自信があったので、なんとか2年生から入学させてもらえました。
選抜クラスに入ることも出来たのですが、その時にマツダに就職した先輩に会い、その先輩から、「寝ないで描け。死ぬ気で描きまくったら絶対にカーデザイナーになれる。」とアドバイスを貰いました。
その言葉を信じ、描きまくりました。TCA時代は、人生の中で一番描きました。
TCA時代は、人生の中で一番描きました。
大学の頃に一度落ちてしまっているので、絶対に後悔はしたくなかったのです。
「自分のできる限りの事はするんだ、もう後は無いんだ」と言い聞かせながら、テレビも全く見ず、友達とも会ず、寝るのは電車の中だけと決めていました。
大体一日にレンダリングを2、3枚と、カースケッチ20〜30枚くらいを描いていました。
やはり好きなことだったからでしょう、不思議とモチベーションは下がりませんでした。
僕のTCA時代の同期で、今もカーデザイナーとして活躍している人がいるのですけど、それも励みになりました。
電車の中や車の助手席でも、ペーパーナプキンにまで、どこでも描いている人でした。
そんな同期を横で見ていたため、「俺も負けていられない」と思いました。
そして、いよいよ志望していたメーカーの試験を受けることになりました。
2週間の間に、一人でテーマを決め、コンセプトを立てて、デザインして、というのをやって、最後に役員にプレゼンテーションしました。
20名ほどの中から、受かるのは1人だけでした。
1年間と決めて必死で頑張ったおかげもあって、その試験で無事内定を頂くことが出来ました。
本郷高等学校=ブリキのおもちゃコレクターの第一人者として世界的に知られている北原照久さん、こち亀の秋本治さん、北斗の拳の原哲夫さんや現代美術家の村上隆さん、EXILEのATSUSHIさんなど、数々の著名人を生み出した学校。HIPHOPアーティストのDABOさんと米山さんは同級生だという。
東京コミュニケーションアート=通称TCA。 カーデザインを学ぶ4年制の自動車デザイン科は長い歴史を有し、卒業生の多くがトヨタ・HONDA・日産・ダイハツ・マツダなど大手自動車メーカーの研究開発デザイン部門への就職を実現している。
就職が決まってから
フランスのタイヤメーカー・ミシュランが主催するワークショップがありました。
世界各国からデザインで有名な大学や専門学校8校を、パリに集めて2ヶ月間行うもので、それに日本から僕一人参加させてもらいました。
「次の10年における4WDの進化と、それにふさわしいタイヤはどのようなものか?」という課題がまず与えられました。
最初の2〜3日はチーム作りです。異なる文化や体験、意見を交換し合いながら英語とボディーランゲージでコミュニケーションを取りアウトプットする、という新鮮な経験でした。
英語ですか?僕は全然ダメです。
とくに最初のミーティングはさっぱりで、重要なところのスペルだけ教えてもらい、帰ってそれを調べて、宿舎で「あぁ〜、なるほどね」と理解していました。
けれどもデザイン用語は一緒なので、ボディーランゲージを織り交ぜながら、積極的にコミュニケーションを取っていきました。
みんな大学生や専門学校生などの同年代なのですが、デッサンがとても上手で、本当に良い刺激でした。
途中ミシュランの関係者やイタルデザインの方、Auto&Designという専門誌の方に作品をプレゼンテーションして、最後はパリ・モーターショーで展示しました。
カースタイリングにも載りました。
カースタイリング=三栄書房刊行の隔月刊自動車デザイン専門誌。1973年に創刊され、世界唯一の和英両文カーデザイン専門誌であり、世界の自動車メーカー、デザイン学校やデザイナーから評価されてきたが、2010年5月号をもって休刊。今なお、復活を希望する声も多い。画面右下の作品が米山さんの作品。
ヨーロッパにいたのは4ヶ月間でしたが、その間、車を借りてヨーロッパ中を旅しました。
ミラノやトリノではTCAの先輩たちに会ったり、ピニンファリーナやSZデザイン、イタルデザインにも行ったりしました。
当時のエピソードとしては、せっかくヨーロッパにいるのだから、憧れのジウジアーロに会いたい、と思い「アイ・ニード・ジウジアーロ!」と滅茶苦茶な英語で、イタルデザインに電話しました。
そうすると、おそらく秘書みたいな方が電話に出てくれ、どうやら来ても良さそうな返事だったので、取り敢えず行ってみました。
とはいっても言葉はイタリア語で、全然わからないので半信半疑で行きました。
そこへ着くと、なんと門の前にジウジアーロがいたのです。
おそらく、ちょうど出かけるところだったのでしょう。
中学生の頃、デパートで見たあのジウジアーロが門の前に立っていたのです。
すぐに駆け寄り、「私は日本であなたのデザイン展を見てカーデザイナーを目指しました!そして来年からカーデザイナーとして日本で働くんです!」と伝えると、ジウジアーロが一緒に喜んでくれました。
「ブラボーー!」と言いながらハグして喜んでくれました。
本気で、これは夢なのではないかと思ったのを覚えています。
米山さんの愛車ポルシェ911CARRERAカブリオレ6MT。なんと48台もの愛車遍歴を持っているのはここだけの話。
-今後の抱負などありましたら、お聞かせ下さい。
抱負ですか。難しいですね。。
強いて言うなら、僕はデザインの1つ前段階のコンセプトを決めるマーケティングや企画部分から携わることが多いのですが、より多くの人に愛される、楽しんでもらえるクルマを世の中に生み出していきたい、と思っています。
高級車もいいですが、リーズナブルで愛されるデザインのクルマもいいですよね。
値段や燃費の良さなど、車を買うときに考えることは色々あると思うのですが、デザインというのは一番買う決め手になりうる、購入要素だと思うのです。
だからこそ、カーデザイナーという仕事に魅力も感じますし、同時に責任も感じます。
そこに携わる者として、愛されるクルマを世に送り出すことが使命だと思っています。
ほぼ毎週、ショーやイベントに顔を出している米山さん。色々な車やモノを見て、多くの人に会い、様々な価値観に触れることは仕事にも活きているのだそう。iPhoneで写真を見せてくれたが、イベントで収められた無数の車が保存されていた。
カーデザイナーを目指す人へメッセージ
寝ないで描け!死ぬ気で描け!です。
これは本当にそう思っているのですが、カーデザイナーの一歩手前まではどんな人でも、練習をすればなれます。
練習は裏切りません。断言できます。
1年前に「こいつはちょっと…」と思う奴が、1年後にみると本当に上手くなっている、ということが実際にあるのです。
カーデザインアカデミーの期間は半年から9ヶ月。それくらいあれば、講師の指導で正しい知識を吸収しながらやれば、プロの一歩手前までは絶対に誰でもなれます。
受講生のスケッチを見させてもらいましたが、一ヶ月でもパッと見は描けるようになっていますね。
この調子で1年描き続けるのです。
最後はその人の持つセンスや運などに左右されるかもしれませんが、一歩手前までは誰でもなれます。
カーデザイナーは職業柄、誰でもなれる職業ではありませんし、多くの人が諦めていくのも現実ですが、悪いことは言いません。
カーデザイナーになりたい、という夢を持っているのだったら、後悔しないように、とにかく描きまくってください。
僕からは、それだけですね。
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