【Food de Soul vol.1 山下敏男氏執筆】フェアレディZ世界最大級の祭典『ZCON』レポート
Food de Soul
7月よりCDAの講師を拝命いたしました山下敏男です。今回より『Food de Soul』と言うレポートを、デザイナーを目指すみなさんにお届けします。『Food de Soul』は魂の食事、心の栄養と捉えて頂いて結構です。新しい“モノやコト”はデザインを心がけている人たちにはとても重要である事は、十分理解されていると思います。しかし、自分にぴったりな情報は、そう簡単に手入れるコトが出来ませんよね。しかも、自動車に関するコトであれば尚更です。
と言う事で、これからしばらく、皆さんの魂に食事を届けていきたいと思います。今日は第一回目として、『Food de Soul vol.1 ZCON』をお届けします。
ZCONとは?
『ZCON』と言うのは、日産自動車が販売している、歴代のフェアレディZを集めた、アメリカ国内で開催されている年一回のイベントです。“Z-CAR CONVENTION”の略で、全米の“Z Car Club”をまとめている“Z Car Club Association(Zカークラブ協会)”が主催しています。
“Z Car Club Association”はアメリカが主体で、240Zが発売された年に創立され、今年で45年目を迎える、歴史ある協会です。
私も詳細は解りませんが、ローカルな“Z Car Club”はアメリカ国内に50クラブほどはありそうです。各クラブの活動はかなり活発で、地域毎の集会を最低でも月1回は実施し、ミーティングや車の評価会・走行会、あるいはバーベキューなどを行っています。
今回のテーマである『ZCON』はそれらを一堂に会するビッグイベントで、年一回開催されています。一堂に集まるといっても、アメリカの大地は日本の23倍ほどありますので、毎回全員が集まることは不可能。ですので、毎年開催される地区を変えながら、出来るだけ多くの人が参加しやすい状況を作っています。西海岸で開催されれば次は東海岸、北部で開催されれば次年度は南部というように、上手く場所を変えながら、次年度の場所が決まった地区の“Z Car Club”が幹事役をする仕組みになっています。
それでも、ZCONは年1回の総会ですから、どんなに遠くても絶対に参加したいという人も多く、この夏の時期に2週間ほど休暇を取り、駆けつける熱心なメンバーもいるようです。
ホテルで開催される総会に参加する車だけでも100台程集まりますが、ZCONでは、単に総会だけでなく車の“Judge show(品評会)”として車を互いに見せ合う場が、イベントとして計画されています。特徴的なのは、サーキットでの走行会を行い自分の車を持ち込んでスピードを楽しんだり、コーナリングを楽しんだりしているということ。全てのイベントに参加する車の総数は、300~500台になりますが、これは開催地域の状況で少し異なるようです。今回のMemphis(メンフィス)には、300台程度は集まっていました。
フェアレディZの愛される理由
何故、フェアレディZと言う車が、これ程多くの人に、長く、そして熱烈に愛されているのか、その理由を簡単にご紹介します。
時代は、1970年頃に遡ります。当時の日本車は、優秀な車としてアメリカに認知されていませんでした。安くて壊れない便利な車としては評価されていましたが、それ以上のレベルの車ではありませんでした。これは、日本からアメリカに輸出していた日本車の大半がそのような状況だったと推測できます。
当時、景気の良かったアメリカでは、歴史のある欧州のポルシェやジャガーが憧れの車。又、殆どのアメリカ人は、国産車を買うのが普通だったようで、自動車として余り認識のなかった日本車を買う理由が無かったのではないでしょうか。特に、フリーウェイの長い上り坂等では、エンジンが脆弱な日本車はスピードが落ちてきて全体の車の流れに乗っていけなかったと聞いています。その頃、日本車で一番ウケていた車は、安くて頑丈なピックアップトラックでした。
しかし、その状況を打破したいと願っていた日本人がいました。当時、アメリカ日産の社長をしていた片山豊氏です。片山さんはアメリカで日本車の優秀さを認めさせるための車が必要だと考えていました。スタイルが良く、速く走る車、多くのアメリカ人を振り向かせる事の出来る車を開発し、アメリカで日本車の良さを認めさせたいと思っていました。
片山さんは、アメリカ市場の求めている車はスポーツカーだと考え、日産本社にスポーツカーを作ることを提案します。その結果として、製品化された車が240Z。この時に、片山さんと同じ思いでデザインしていたのが松尾良彦さんです。240Zのデザインの生みの親で、私の大先輩です。
240Zはアメリカ国内で爆発的にヒットし、スポーツカーでは類を見ない55万台という数字を叩き出しました。結果として、それまでの日本車が持つ安くて脆弱のイメージから、日本的品質の高さと素晴らしいデザインで、当初の目的通りイメージアップに大きく貢献することが出来ました。
ミスターKの存在
“Z Car Club Association”は45周年と言う事ですから、アメリカの中では発売当初から熱烈なファンがいて、現在まで脈々と続いているわけですが、なぜ、熱烈に愛されているのかという事を考える時、片山さんの存在が大きいと思います。「ミスターK」と言う愛称で多くの人々に尊敬され、好かれている片山さんの人柄と熱意の結果である240Zと言う車だからこそ、今でも愛されているのだと思います。
ミスターKこと片山豊氏と240Z(Zノーズ)
当初“Z Car Club Association”は240Zオーナーのクラブでしたが、240Z以降のZカーの愛好家たちも交えるようになり、現在の形へと成長してきました。現在、Zカーは6代目のZ34となり、1970年代の愛好者は勿論、若い人たちも交わってきて、Zカーの愛好者はますます増加しています。この事を考えると、Zカーはクラブメンバーの生活の中にしっかり組み込まれており、ライフスタイルになくてはならない存在になっているようです。Zカーは、日本が作り上げた自動車文化の一翼を担っていると思います。
おそらく、“Z Car Club Association”はこれからも未来に向けて存続してくことでしょう。
*日本にも同様のクラブがありますので、機会を見つけて紹介したいと思います。若者の車離れとも無縁の人たちがいる事を皆さんにレポートしたいと思います。
240Zから現在の6代目まで。筆者のデザインしたZカーは4代目“Z32”
Z32開発ストーリー
第28回、今回のZCONは気温42度・灼熱のアメリカ・テネシー州Memphisで、2015年7月14日から18日まで開催されました。メイン会場はMemphis空港から30分程度のHILTON MEMPHIS に設置され、全米各地から多くの参加者が集合しましたが、中には松尾さんや私のような日本からの参加者もいました。そして、ショーに参加するためのZカーで何日もかけてMemphisまで走ってくるメンバーがいました。私の知っている範囲ではカナダのトロントからきた若いカップルや、サンディエゴからやってきたツワモノもいました。
ホテルでは、開会式を皮切りに年次総会が行われました。その式次第の中に私のプレゼンテーションも織り込まれていて、このために英語での発表を準備してきました。昨年のサンディエゴでのスピーチに続き、Z32開発のストーリーを発表させてもらいました。
筆者の発表風景
Judge show(品評会)
室内でのイベントが終了し、いよいよ屋内での走行会や“Judge show(品評会)”の開催です。走行会は“Memphis International Raceway” を会場として、各人持ち込んだ自慢のZカーを思いっきり走らせていました。240Zの場合、45年近く経っている車もあるのですが、いずれの車も元気に走行しており、車が観賞用ではなく、走る為にある事を改めて思い起こさせてくれました。当日の気温は42度を超えていて、太陽を遮る日陰が全くないサーキットの上での気温は45度をはるかに超えていたように思えましたが、脱落する車がなかった事に対して、オーナーの日頃からの手入れの良さを感じました。
そして、うだるような暑さの中で精一杯走っている姿や走り去る爆音に、一言では表現できない情熱という熱い想いを今更ながら感じました。
サーキット場にズラリと並んだZカーの群れ。それぞれが勇ましく、そして自慢げです。ドライバー達は一年間かけて仕上げたピカピカの愛車に乗り込み、スタートを今か今かと待ちわびていて、その様子が、まるではしゃいだ子供のように、愛おしく感じました。
“Judge show”が、Memphisの歴史地区にある“Beale street”を全てシャットアウトし、メインイベントとして開催されました。この通りはメンフィスのラジオ局WDIAでDJをやっていた、B.B.King ゆかりの地です。現在でも生バンドがレストランでソウルミュージックを聞かせてくれるとても洒落た場所で、Zカーのショーに相応しく、どこか懐かしく感じました。
“Beale street” にズラリ並べられたZカーは、強い日差しと42度を越す気温の中で自分の美しさや逞しさを競い、とても誇らしげ。Judge をする人たちや日差しを避けてくつろぐ人たちがいて、和気藹々の中でショーは過ぎていきました。
参加者が選ぶもう一つの品評会
“People’s Choice Car Show” 最終日の昼間、もう一つのショーが開催されました。正式なジャッジではなく参加者の中から選ばれた人が選ぶショーと言うことで、より親密感があり楽しめるショーとなりました。場所はMemphis郊外の、Millington Airport(Jetport) と言うジェット機の飛行場。格納庫が事務局のために用意され、機械好きの皆の気分は否が応でも盛り上がっていったようです。ここでは自分の車を自慢し、仲間の車を褒めてお互いにZカーの素晴らしさを確認し合いながら、次年度までに自分の車のレベルアップをどのように計画していこうか、考えているように見えましたし、Zカーを愛するイベントに参加できた喜びと自信、そしてZカーに陶酔する時間が過ぎていきました。
会場では、スポンサーになっている日産自動車やNISMO の展示コーナーがあり、GTRや6代目Zカーのレーシングモデルが注目を浴びていました。
最後に恒例?(2回しか参加してませんが昨年はサンディエゴ湾でのクルーズでした)のディナークルーズがありました。今年はミシシッピー川でのクルーズ。初めて外輪船に乗りましたが、蒸し暑く狭い船内は、バーガーだけの食事で余り快適とは言えませんでしたが、楽しく交流を深められたディナークルーズになりました。
カーデザイナーとしての喜び
ZCONは、昨年のSanDiego に続き、今回は二回目の参加でした。改めて思うことは、デザイナーで良かった、と言う事に尽きます。自分のデザインした車を、愛してくれて、そして長く乗ってくれている。そして私に対して「いいデザインをありがとう」と言ってくれる人々がいることに感謝です。
これ程、幸せになれる仕事が他にあるだろうか?と私は思いました。デザインは人々を豊かにし、人々の人生に潤いを与える事が本当にできるのだと、つくづく思います。現在、カーデザイナーを目指している皆さんには、デザインする意味や喜びを感じ取りながら、未来のユーザーを想像しながら、伸び伸びとデザインをしてほしいと思います。これから一緒に自動車文化を創って行きましょう。
では次回の『Food de Soul』をお楽しみに!!
山下敏男でした。
楽しい夜は更けるのを忘れてしまいそうです!!