松山耕輔

SONY DSC松山耕輔 = 1959年8月6日生まれ。神奈川県横浜市にて生まれ育つ。75年、県立神奈川工業高校の産業デザイン科プロダクトデザインコースに進学。78年、日野自動車工業株式会社(現在の日野自動車株式会社)にモデラーとして就職。自身が20歳のとき、職種転換試験を受けデザイナーに。ハイラックスサーフ(トヨタ)などのデザインを担当する。1989年、田町に日野自動車の東京スタジオが立ち上がるのをきっかけにアドバンスチームへ異動。その後、社長直轄のビッグバンプロジェクトで総合企画を経験した後、デザイン室に室長として戻る。2011年、デザイン部部長に昇格し、現在に至る。

ーデザイナーに転向されたきっかけをお聞かせください。

モデラーとして仕事を習得していく中で、だんだんデザイン開発の仕事の雰囲気や流れが見え始めたあたりです。最初はあまり意識していませんでしたが、デザイナーの仕事に興味を持ち始めました。しかしながら、デザイナーになりたいと常に強く思っていたわけでもなく、かといってモデラーの仕事に不満があったわけでもありません。デザインをしている現場に参加し、クルマ作りに携われることに喜びを感じていました。ただデザインの仕事にも興味があったので、先ほどの寮祭のイラストコンテストと同じで目立ちたかったのかなと思うのですが、自分なりにこだわった写真などを使った年賀状を上司に出していたところ、あるときスケッチを描いてみろと言われました。その後、デザイン室に仮配属になり、アイデアスケッチに参加するようになりました。

ーカーデザイナーに転向したい方は多いと思うのですが、まさか年賀状がきっかけだったとは驚きました。

人生なにがどう転ぶかわからないものですね。また、モデラーの大先輩、通称「おじいちゃん」と呼ばれていた上司にも「お前はデザイナーの方がいいんじゃないか」と言われました。それで職種転換試験を受けることになり、正式にデザイナーになりました。ただ、薦められたきっかけはデザイナー的センスではなくて、私は左利きなので刃物や木工機械などの扱いが危なっかしくて、見てられなかったかららしいです全文を読む

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