現役の鉄道デザイナーに会ってきた!―総合車両製作所 塩野太郎さんの場合―
先日インタビューさせて頂いた、カーデザイナー池田さんからのご紹介により今回のインタビューは実現しました。
池田さんの記事はこちら
新幹線車両をはじめ、高速車両からステンレス製通勤車両、ハイブリッド車両、LRTまで幅広い技術を持つJR東日本グループの鉄道車両メーカー、総合車両製作所。以前は日野自動車に在籍しておられ、現在はその総合車両製作所に在籍するデザイナー、塩野太郎さんにお話を伺いました。
車からバス、そして鉄道と幅広いトランスポーテーションデザインを手がけてきた塩野さんに、デザイナーを目指すきっかけから、学生時代、そして日野自動車を経て総合車両製作所へ転職するに至るまでをお聞きしました。
現役の鉄道デザイナーに会ってきた!―総合車両製作所 塩野太郎さんの場合―
塩野太郎=1970年9月24日、愛知県豊橋市にて誕生。公立高校を卒業後、京都市立芸術大学の美術学部に進学。プロダクトデザインを学んだ後、日野自動車デザイン部に就職。21年間、商用車(トラック、バス)、ピックアップトラックなど数多くのプロジェクトに携わる。2014年7月、総合車両製作所にデザイナーとして転職し現在に至る。デザイナーとしての一面の他、ユニバーサルデザインのジャンルを超えた研究活動など幅広く活躍している。
―まずは生い立ちからお聞きしてもよろしいでしょうか。
小さいころの写真は航空機の前でVサインをしている写真ばかりなほど、父親が大の航空自衛隊ファンだったので、幼いころは秋口になると飛行場へ行き、大きな鉄の塊を触っていました。今でも大きな車両をみると必ずペタペタ触っているので、その幼少体験がベースになっているのだと思います。そして母親は、大の美術ファンでした。僕自身も、小さい頃から絵画教室に通っていて、絵が得意な子として育ちました。
―デザインや芸術には、昔から慣れ親しんでおられたのですね。
そうですね。絵が得意だったので、自然と美術系を意識してはいました。高校は進学校に進んだものの、成績はあまり良くなかったので特に目立つ存在ではありませんでした。けれども毎年体育祭に各クラスでデコレーション(応援用のオブジェ)を作る機会があり、クラスで造形担当の役目をもらい活躍していました。その体育祭のデコレーション製作をきっかけに、モノを作るのって楽しいなと思うようになり、自分の得意な絵を生かせる道として、はっきりとデザイナーを志すようになりました。
―京都市立芸術大学ではどのようなことを学ばれていたのでしょうか。
スケッチが活かせて世に出て役に立つものをデザインするのなら?と考えた結果、最終的にプロダクトデザインを選択しました。90年代初頭、京都市立芸術大学は現代芸術で大変勢いがありました。ペインティングアートやインスタレーションアート、彫刻、グラフィック、映像、音楽、建築など、幅広く学んだ知識や経験は、いまでも好奇心の源泉になっています。
就職活動中は、ちょうど世の中はバブルがはじけた年でした。最初は家電を志望していたのですが、全く決まらず、次第にやりたいことと向いていることが違うのかも、と自分の中で少しずつ疑問が出ていきました。そのような中、公共交通機関としてのバスやトヨタ自動車のSUVトラックなどもされていた日野自動車の募集にめぐり会い、カーデザイナーとして就職することになりました。
当時のスケッチを見ると恥ずかしくなるくらいなので、スキルはなかったと思います。熱意と考え方を猛烈にプレゼンして入社する事が出来ました。
―当時はどのような練習をされていましたか。
大学に乗用車メーカーから非常勤の講師の方がみえて、スケッチとモデリングの授業がありましたが、月に数回だけだったので、カースタイリングを買い、スケッチを自己流で描いていました。
なかなかパースが取れないので車に見えず、そのまま日野自動車に入社しましたが、優秀な先輩にコツを教えてもらうことにより、少しずつ上達していきました。
―どのようなコツなのでしょうか。
先輩に教えてもらったのは、水平線の軸をどこに置いてあるのか強く意識しろ、ということでした。遠近法のロジックです。書き手の位置と対象物の関係、視点の位置、それを意識しながら描いていく。パースはロジックがわかるまで、そしてロジックが分かってから形に落とすまでに時間がかかりますよね。きちんと車に見えるかどうかはパースがきちんと取れているかによります。
また車それぞれのパーツの比率を、きちんと守ることも教えてもらいました。それができていない状態でスケッチ検討会をすると、車に見えないのでしっかりと見てもらえません。描いた後に先輩にアドバイスをもらい、絵を直す、という繰り返しでした。就職浪人をせずに入ることができましたが、仕事は厳しいので、すぐに任せてもらえるようになどなれません。そして、先輩のスキルやスケッチをまねて修行する日々が続きました。カーデザイナーは丁稚奉公10年が当たり前の世界です。 自信がなくて自分を出せずにいました。
しかし転機が訪れました。モーターショーのモデルを海外で作るチャンスが到来したのです。その時に、ある有名な海外のカーデザイナーの方から「タロー、あなたが本当に良いと思ったこと、欲しいと思った物を、心に忠実にデザインをしなさい」と言われました。またプロフェッショナルのモデラーの方も僕のスケッチの癖、線質、面質どおりに忠実に陽気にモデルを作ってくれました。
まさに目からうろこが落ちるような体験でした。その頃には、スキルは上達していたのですが、周りを気にしてウケるデザインばかりになってしまっていたことに気付かされたからです。自分の心に忠実にデザインすることができるようになったことで、目の前がパッと開けたような感覚で、どんどん仕事が楽しくなりました。それが日野自動車に入って10年目のことです。
―そして2005年にはポンチョを手がけることになられるのですね。
はい。待望のバスを丸々一台デザインする機会に恵まれました。高齢者から子供まで町をまわってコミュニティーを活性化させる小型低床コミュニティーバスです。学生の頃から思っていた、自分のデザインで世の中を良くする、ということが実感できた最初の経験だったのかもしれません。
そのデザインを終えた後にユニバーサルデザインを評価するために、車両実験部に移籍することになりました。実験というのは、室内をおじいちゃんやおばあちゃんに触ってもらい、安全性や、使いやすさを評価してもらうのです。やっていることは人間工学の領域です。その経験もまた、新たな気付きを与えてくれました。実験をすると、予想通りに使ってもらえるばかりではありませんでした。予想外の点も多々あります。それらを修正していくということは、デザイン部の仕事に人間工学的にNGを出すということです。
ユニバーサルデザイン=文化・言語・国籍の違い、老若男女といった差異、障害・能力の如何を問わずに利用することができる施設・製品・情報の設計(デザイン)をいう。7つの原則は右記。1.どんな人でも公平に使えること(公平な利用)2.使う上での柔軟性があること(利用における柔軟性)3.使い方が簡単で自明であること(単純で直感的な利用)4.必要な情報がすぐに分かること(認知できる情報)5.うっかりミスを許容できること(失敗に対する寛大さ)6.身体への過度な負担を必要としないこと(少ない身体的な努力)7.アクセスや利用のための十分な大きさと空間が確保されていること(接近や利用のためのサイズと空間) Wikipediaより引用
そのような苦い立場も経験しましたが、そこでユーザーとの対話から必要とされるものを導き出すという、いわゆる人間工学とデザインの間の領域、ユーザビリティーエンジニアリングを体得しました。身体的特徴を配慮して、工学的に形状をコントロールし、使いやすさと心地よさを作り出し、なおかつデザイン的な魅力をも両立させるというスキルです。何のためにデザイナーは、デザインをしなけらばならないかが腹に落ちました。当時この領域はまだ発展途中の領域で、デザインにおけるアイデアの源泉、宝の山を見つけたと感じました。
デザインを担当したコミュニティーバスは、少しずつ順調に日本の自治体で評判になり、今では多くの都市で見かけることが出来るほどになりました。愛称をつけてもらい、町のシンボルになっている地域もあります。デザイナー冥利につきる貴重な経験だと感じます。これぞ自身の道であり、ライフワークを見つけたと感じました。
ポンチョ=ジェイ・バスが製造し、日野自動車が販売している路線用小型ノンステップバス。愛称の由来は、ポンと乗ってチョこっと行くことから。(Wikipediaより引用) 新型「日野ポンチョ」の最大の特長は、“乗り降りのしやすい低床”と“クラス最大のフルフラットフロアスペース”であり、また住宅街のような狭い路地などで小回りの利く高い機動性や シンプルで丸みのある“親しみやすい”デザインなど、高齢化・バリアフリー時代のコミュニティバスに適した車両である。さらに同クラスで初めて “平成17年(新長期)排出ガス規制に適合”した優れた環境性能も有している。(日本の自動車技術240選より引用) 2006年のグッドデザイン賞も受賞している。
―鉄道デザイナーとして転身されるきっかけをお聞かせください。
その後、カラーマテリアル業務とユニバーサルデザインをローテーションで担当することになりました。カラーとマテリアルだけで車両の価値を作るという、新たな観点とスキルを身につけました。また、ユニバーサルデザインということで公共交通である鉄道デザインを研究するようになり、どんどんと鉄道に惹かれていきました。
鉄道は、街単位だけではなく、沿線全体の都市と都市をつなぐ生活エリアで考えなくてはなりません。そして、都市計画や人々の移動の文化も考えてデザインする必要があります。デザインの公共性が重視され、注目度も非常に高い乗り物です。
―鉄道デザイナーは非常に席が少ない職種にあたりますよね。
日本にある車両メーカーは数社ほどになります。おそらくデザイナーは全て合わせても30〜40名ほどではないでしょうか。ですので、なかなか募集も出ません。いろいろな方に鉄道車両について話を聞きに行き、ジャンルを超えた自主研究活動をおこないました。縁あって総合車両製作所で働くことになりましたが、まだ3ヶ月ほどしか経っていないのにもう既にとても忙しいです。
現在の目標は通勤車両を多くデザインし、今よりもっと使いやすく、そして魅力的な車両を走らせて、人々の移動をより豊かにする事です。自分が使う路線って、普段は気付きにくいですが、自分の地元そのもの、日々の生活の舞台そのものなのです。その地域に根差したものになっています。その分、責任も大きいですがやりがいを感じます。今後は海外にも日本の通勤車両を出していくので、日本の電車づくりで世界の方からも喜ばれる仕事がしたいと思っています。デザインや、照明や音響、情報との接し方やマテリアルの使い方、ユニバーサルデザインなどを高めることで、まだまだ鉄道車両や移動そのものを良い方向に導けると考えています。
一方、特急車両は旅行の移動手段として使われる場合、旅そのものの目的の一つになる場合があります。人々の人生の楽しみの一端を作り出す、そのようなことに携われることが出来ることに嬉しく思います。それ自体が観光コンテンツとなり、地方都市を活性化させる可能性がありますが、それには相当のデザインの力量が必要になります。旅の楽しみを増やせるような仕事をしていきたいです。チャンスは多くないのですが、機会に恵まれれば担当してみたいと思っています。
総合車両製作所にあるユニバーサルデザインの「UD商品企画室(UDラボ)」。ユーザーからのフィードバックを得て、さらに改良されていく。
―カーデザイナーを目指す方にメッセージをお願いいたします。
大きく分けると「能力」「考え方」「熱意」のこの3つが大事だと思います。車両コンセプトや製品意図を、手書きスケッチで車として魅力的に表現できる「能力」。次に、命題に対して問題点を整理し、新たな価値や魅力、そしてそれを伝える物語をつくる事ができる「考え方」。そして、ものづくりに大切な「熱意」。熱意は人を動かします。この3つを高めていくことを意識するといいと思います。
というのも、プロとして選ばれる為には「この人と一緒に働きたいな」と思わせるようなスキルと雰囲気を身に着けることが大事。将来的に同僚になってこの人と働きたいなと思わせる雰囲気があることで「あの子良さそう」「いい奴いるねえ」という反応になります。それには「能力」「考え方」「熱意」を鍛えることがとても重要。
プロとして選ばれる為には「この人と一緒に働きたいな」と思わせるような、スキルと雰囲気を身に着けることが大事です。将来的に同僚になってこの人と働きたいな、と思わせる雰囲気があることで「あの子良さそう」「いい奴いるね」という反応になります。それには「能力」「考え方」「熱意」を鍛えることがとても重要です。近道は先生や講師に作品をみてもらい、講評(レビュー)を受けフィードバックをもらう事です。プロも毎日やっています。そうすることで自分でも気づきがあり、努力をするようになります。そして上達のコツや足りない所を教えてくれます。みんな一度は通った道なので優しく教えてくれるはずです。よいサイクルで「スキル」「雰囲気」が備わるので恥ずかしがらず、面倒臭がらずにやってみることをおすすめします。
編集後記
インタビュー最後、上達するためにはレビューが大事だとおっしゃっていましたが、まさに我々もその通りだと思いました。
自動車やバス、そして鉄道車両と様々なトランスポーテーションデザインを経験してきた塩野さんですが、前職時代に培ったご自身の経験から、現在はデザインに関する悩みやキャリア形成に関する相談にのっており、学生だけでなくプロのデザイナーも塩野さんを訪ねてやってきます。
インタビュー当日は、金沢文庫にある総合車両製作所の工場見学までご案内頂きました。撮影NGだったためご紹介はできませんが、あの車両もここで作られていたのか、と思うと大変感動いたしました。総合車両製作所は鉄道車両だけでなく、各種コンテナ、分岐器、そして鉄道グッズの企画製作・販売もおこなっています。ご興味ある方はHPもチェックしてみてください。総合車両製作所