クラシックビートル界の重鎮FLAT4小森隆さんに聞いた!好きなことをして生きていくということ | Car Design Academy [カーデザインアカデミー]|オンラインのカーデザインスクール

クラシックビートル界の重鎮FLAT4小森隆さんに聞いた!好きなことをして生きていくということ

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「やってみるとなんだってできますよ。同じ人間がやってることなんだから。」

 

FLAT4代表の小森隆氏は言う。小森氏といえば、約3000台もの空冷フォルクスワーゲンのレストア・販売を手掛け、日本におけるビートル・ブームを牽引してきたことで知られる人物である。

 

FLAT4は、世界各国のカーディーラーが集い、最近ではハイセンスな家具店も立ち並ぶ目黒通り沿いに、東京本社を構える。わたし自身、カリフォルニアにはまだ行ったことは無いのだが、完璧なコンディションに仕上げられた愛くるしいビートルたちや、こだわりの展示品・インテリアを含め、まさに古き良き時代の西海岸にあるカーディーラーそのもののように思えた。

 

小森氏へのインタビューに進む前に、GoogleインドアビューでまずはFLAT4の店内をご確認いただきたい。1Fのショールームから左前にある階段を上り、2Fのショップ、そしてショーケースの中身一つ一つまで見ることができ、FLAT4の世界観をすぐに肌で感じることができるだろう。

 


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日本でのクラシックビートルの販売だけではなく、FLAT4オリジナルのアルミホイールやステアリング、シフターなどのパーツは世界中で大ヒットした。だがそこへの道のりの第一歩は、英語も機械のこともろくに分からない素人が4年かけてビートルをレストアしたことだった。冒頭の言葉は、「自分には無理だと思わなかったのですか?4台のボロボロのビートルだけで1台を作るなんて。」というわたしからの質問に対する小森氏の回答だ。

 

「同じ人間なんだから絶対に自分でもできる。」

 

現代のわたしたちに足りていないものは、そのどこからくるか分からない確固たる自信と一歩目を踏み出す勇気なのかもしれない。自分の一番好きなことを仕事にした男のサクセスストーリーと一口に言ってしまうと小森さんに怒られてしまいそうだが、このインタビューが読者のみなさんの行動を起こすきっかけになれば嬉しいと思う。

 

 

クラシックビートル界の重鎮FLAT4小森隆さんに聞いた!好きなことをして生きていくということ

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小森隆(こもり たかし) 68歳=FLAT4代表取締役社長。東京大空襲のあと、間もない時代に疎開先で生まれる。高校卒業後、実家の建材屋にて勤務。あるとき、ビートルを購入することをきっかけにこの世界にのめり込んでいく。自身が30歳の時、FLAT4を設立。それ以降、現在にいたるまでクラシックビートルに関わる様々な事業を手がけ、雑誌やメディアなどにも頻繁に取り上げられている。

 

—小森さんはどのようなお子さんだったのでしょうか。

ガキ大将やリーダータイプではなく、真面目でシャイな子でした。新宿の神楽坂に住んでおり、素敵な外車が停まっている地域柄、気づくと自然にクルマに興味を持っていました。排気の音とガソリンの匂いが好きでした。

 

14歳のときに朝晩の新聞配達で貯めたお金で、アップマフラーのHONDAのスポーツカブを購入しました。新聞配達が月に1,800円で、バイクが5万8000円でした。学校にもそれで通っていました。16歳になってからは、ヤマハの250ccのバイクを買い、それでも学校に通っていました。ドロップハンドルに交換したり、友達とお金のかからない改造をしたりして楽しんでいました。

 

18歳のころには、当時75万円した4年落ちのトライアンフTR3Aを購入しました。高校卒業後は、実家の建材屋で働きましたが、給料のほとんどはその返済に充てていました。

*  当時の一般的な大卒初任給は1万7800円。今の価値に換算すると1000万を超える。

 

—若いころから、とても思い切ったことをされていたのですね。

トライアンフTR3Aが好きで好きで、とにかく喉から手が出るほど欲しかったのです。第一回日本グランプリに出場したTR3Aを縁あって譲ってもらいました。莫大な金額でしたが、そのために一生懸命働きました。ただよく壊れましたが。この車は1959年製なので、半世紀以上経過していますが、今でも乗っています。お金に困って何度も売ろうとしたのですが売れないのです。苦楽を共にしたパートナーですから。エンジンも一発でかかります。

 

フォルクスワーゲン

東京本社2Fには、ビートルのテールランプやステアリングが時代ごとに綺麗に展示されており、その推移を見ることができる。

 

その後1964年ころ、ビーチボーイズやアストロノーツを代表としたサーフィンミュージックが大流行していましたから、サーフィンにハマりました。TVドラマでアメリカのカルチャーに強い憧れを持つようになっていきました。10年間、毎週湘南に通って、鵠沼や茅ヶ崎の海によく入っていました。

 

サーフィンに行くのにトライアンフでは狭く、仲間と皆で行きたかったこともあり、4人乗れる2年落ちの1972年ビートル1302Sを友人から購入しました。それも75万円ほどだったと思います。当時は外車の中ではFIAT500の次に安く、他の外車はもっと高価でした。キュートだし、サーフィンにも似合う、ということで自然とビートルに手が伸びました。4人乗るにはパワーがあまりなかったので、色々工夫していじるようになりました。

FLAT4 SURF

 

しかしまだ車が新しいので、本当のところあまり面白くありませんでした。その後、海外のVW雑誌を見ていると衝撃的なビートルを見つけました。チューンしたホットロッドタイプです。これはいいなと直感しました。それがきっかけで1302Sを売って、世界で一台のビートルを自分で作ってやろうと思い、友達から、大田区大森のヤナセディーラーに古いボロボロのワーゲンが捨てられたも同然で置かれているという情報をもらったので、すぐに行って交渉して譲ってもらいました。1台では組み上げられないので、他のジャンクヤードに行き、あと3台を手に入れて、計4台で1台を作りました。

 

—今までそういったご経験はなかったのですよね。

ヘインズのリペア&サービスマニュアルというものが売っているので、分解図を見ながらやりました。全部英語なので、辞書片手に。修理書なので単語の集まりですよ。分解すると全部バラバラになってしまうので、ひとつひとつ名札を付けて、分からなくならないようにしながら。「どこどこに繋ぐ」とその名札に全部メモをしました。

 

—よく作ろうと思われましたね。無理とは思われなかったのでしょうか。

やってみるとなんだってできますよ。同じ人間がやっていることなのだから。わたし自身、機械は昔から得意でもなく、図工も苦手で不器用でしたが、やり続ければできるものだと実感しました。修理やレストアだけではなく、どんなことだって同じ人間がやったものなら自分にもできないはずがない、という考え方です。手間はかかるし、時間もかかります。ですが試行錯誤していると段々要領がわかってきます。結局4年かけて出来上がりました。それがFLAT4設立のルーツです。

ビートル ジャンク

ジャンクヤードで集めたビートル。朽ち果てていて結局屋根しか使えなかったという。

ビートル レストア

レストアの様子を資料として残している。全て自分たちで再生していった。

レストア ビートル

ダッシュボードも自分でカスタマイズ。

ビートル フォルクスワーゲン

ビフォーアフター。素人が初めて作ったとは思えない出来だ。

 

—趣味の延長だったということでしょうか。

そうです。平日は忙しいので、週に1回コツコツと趣味でレストアしたのが始まりです。それで1台作ったところ、エンジンもかかるし、しっかり走って停まるので自信がつきました。なによりとても勉強になりました。その辺に転がっているナットを見るでしょう?そうすると「これは13ミリのフェンダーだな」と、分かるわけです。これを仕事にできたら幸せだな、楽しそうだなと。資金も人脈もないけれどやるしかないな、と思ってスタートしたのがFLAT4です。

 

開業時の店舗は駅から遠く、お客さんが迷ってしまうような立地でした。家賃9万円の1軒屋を事務所として借りたものの、家賃さえも払えない状態で、3年間は貯金ゼロでした。月末には電気を消して大家さんから逃げたり、近くの蕎麦屋もツケで食べさせてもらったりしていましたが払えませんでした。お客さんよりも、騒音やガソリンの匂いでくる苦情の方が多かったように思います。

 

仕事はサーフショップの看板描きや、映画用の三輪車作ったり、とりあえず何でもやりました。また、横田基地方面のジャンクヤードで、ビートルを安く買いレストアを施し、それを販売しながら食いつないでいました。

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創業当時の写真

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今でも初心を忘れないよう、当時の帽子を眺めることがあるという。

 

—雑誌のPOPEYEで一躍脚光をお浴びになったとお聞きしました。

POPEYEが創刊したのが1976年です。うちが取り上げられたのが1977年だったと思います。アメリカのカルチャーやライフスタイルを中心に雑誌が構成されていたのですが、それがうちのやっていることとうまくハマったのでしょう。

 

目黒の住宅街でVWのレストアをやっているのが、珍しかったこともあったと思います。その記事は今でも取ってあります。 POPEYEに掲載された直後、日本全国から問い合わせが殺到しました。当時の編集部員もビートルが好きで、皆さんうちで買ってくれました。

 

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—この記事をみても皆さんオシャレですね。

今と違い当時の車屋さんは、どちらかといえば車が好きでというよりも、商売としてしか見ていなかったように思います。わたしたちは本当にビートルや西海岸のカルチャーやライフスタイルが好きで、そこが売りでもあります。それがお客様に伝わったのかもしれません。そして空冷ワーゲンに特化していた店も他にはありませんでした。

 

POPEYEをきっかけに、4年目あたりから仕事が軌道に乗り出しました。ドイツでの生産が1978年1月に終了したことも、クラシカルなビートルに注目が集まった要因だと思います。1980年代に入るとPOPEYEだけでなく、モノ系の雑誌までビートル特集をしだしました。そうやってビートル好きがどんどん増えていったように思います。

 

POPEYE

1981年100号記念のPOPEYE。FLAT4もきっちりと取材されている。

 

そのとき、代理店をやりたいという声がぞくぞく寄せられ、全国で15社くらい代理店をお願いしました。

 

今から20数年前、1960年代のBRMホイールが世界的に人気でした。軽い点は良いのですが、マグネシウム製なので劣化をするうえに、中古で1本1000ドルなので4本で4000ドルもしました。それをわたしはアルミで作り、5分の1の値段で販売しました。高品質で劣化せず、なおかつ安い。4本で800ドルですから、「こういうのを待っていたんだ!」と世界中で売れました。

 

その後、自分好みの1960年代のステアリングやクイックシフター、エンジンチューニングパーツ、ルーフキャリアなど、沢山作りました。アメリカ、ベルギー、ドイツ、フランスなど、世界各国から商品が欲しいと問い合わせをいただき、更に色々な国に代理店が出来ました。

 

生産は、メキシコ、台湾、マレーシアなどの国でおこなっています。一生懸命作ったものを値切ってしまうと相手に失礼、というのがわたしのポリシーです。値切ったことはありません。「3方良し」がわたしの商売繁盛の秘訣です。

 

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カルフォルニアのサンタモニカに設立されたFLAT4, INC.

 

1981年にキャンプビートルという雑貨とアパレルの店や、フラット・フォー・ダイナーというレストランを目黒区自由が丘に出しました。どちらも常に行列ができ、沢山のお客様に来ていただきました。FLAT4自体もそうですが、こんなことが仕事になればいいな、こういうのがあれば楽しそう、みんな喜んでくれるのではないかな?というアイデアからスタートしています。

 

また、全てわたしが撮影したフォルクスワーゲンの写真集も出しました。海外の会社から版権を買いたいというオファーがあり、売ったのでカバーを変えて、全世界で販売されています。

 

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1968年にアメリカで始まり、31回開催された伝説のイベントでBUG−IN(バグイン)というイベントがあります。ワーゲンの祭典ということで、全米からオレンジカウンティーに人が集まり、ドラッグレースやミス・バグインコンテストをおこなう盛大なイベントです。

 

わたしは1981年にその日本版を、富士スピードウェイを借り切って開催しました。借りる費用は、1日で1500万円。まだFLAT4がお金の無いときです。雨天の場合、ゼロヨンはできなくなってしまうので、元が取れる保証も何もないのですが実行しました。ドラッグレースなので海外からゲストを呼び、車も持ってきてもらいました。

 

結果は大盛況に終わりました。その後数年間は、毎年開催するようになりました。

 

—JUKEBOXのお店もされておりますね。

元々はわたしがコレクターなのです。ジュークボックスのデザインが好きで昔から集めていたところ、130台くらいになったのでお店にしました。クルマと原理は似ています。簡単に言うと機械と電気ということです。

 

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―どのようなお客さまが買われていくのでしょうか。

バー、ハンバーガー屋さん、結婚式場、ゴルフ場の待合室、そして珍しいところではラーメン屋さんが買っていかれました。本当に様々なお客さまがみえます。全てレストアして、当時の音を再現し綺麗にし、半年間のアフター保証もつけて販売しています。もちろんセットするレコードも様々なジャンル毎に用意しておりますので、お好みの音楽も一緒に揃えられます。

 

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読み込み中

#jukebox #flat4

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その味わい深い音も是非聞いてみて欲しい。


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VINTAGE JUKEBOXショールームもGoogleインドアビューで公開している

 

 

—最後に、カーデザイナーを目指す若者へアドバイスをお願いいたします。

好きなモノはとことんやる。中途半端はしない。どこまで熱くなれるか。これに尽きます。中途半端にやると、今までの事が全てパーになってしまいます。もったいないです。決めたらとことん最後までやりきらないと。

 

人生はギャンブルですよ。自分がやりたいと思ったことに正直に、突っ走って結果を出して欲しいです。

 

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小森さんが初めてフルレストアしたフォルクスワーゲン・タイプ1。FLAT4東京本社2Fに今なお飾られている。

 

CDA的編集後記

ビートルをこよなく愛し、好きなことを仕事にして大成功を収めている小森さん。

 

実はつい先日、「おぎやはぎの愛車遍歴」にもガレージ探訪ということでご出演されていました。小森さんのセカンドハウスを訪れたおぎやはぎと竹岡圭さんは、世界で11台しか生産されていない1958年ベントレー コンチネンタルクーペ(2014年のオークションにてRタイプが9500万円で落札)をはじめとする名車揃いのガレージと、そのお宅に終始驚いていた模様がテレビで放映されておりました。

 

「同じ人間なんだからやればできる!そしてどうせやるなら思いっきりやる!」

誰しも時には迷いが生じるものですが、小森さんのアドバイスのようにシンプルに行動をおこすことが成功への架橋となりうるのかもしれない、と思いました。

 

小森さん、お忙しいところありがとうございました。

 

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